13歳で東大医学部に合格した神童(^_^)
ナカサカ医進ゼミナールの皆さん、こんばんは(^^♪
今日は岡田がブログを担当致します☆!
先日、ふと、高校の教科書に載っていた、森鴎外の『舞姫』をもう一度読みたいなぁ~なんて思い、近くの図書館に借りに行きました☆!
「読書の秋」だからでしょうか?(^^♪*
『舞姫』の作者は、皆さんもご存知の森鴎外です(*^^*)
この作品は、森鴎外が4年間、ドイツへ医学を学ぶために留学した時の体験を下敷きにして執筆されたそうですよ!
陸軍軍医であった森鴎外らしい厳格な人柄が、文章からもよく伝わり、それが余計にドイツの踊り子エリスとの悲恋を盛り立てていたように思います(>_<)
さて、森鴎外は先ほども少し書かせていただきましたが、医者の息子として生まれ、幼少期から神童と呼ばれていたそうです!☆
医学を学ぶために10才からドイツ語を学び、13才で年をごまかして、なんと現在の東京大学医学部に合格したそうですよ!!!
すごく驚きですね!!!
その時代、日本では脚気という病気が流行していました(>_<)
海軍の医務局長は、西欧と日本の軍隊の違いは食事にあるとして、白米ではなくパンを中心とした食事をとれば、脚気にかからないことを証明し、脚気の解決法を明らかにしました。
その結果、海軍では脚気患者はほとんど見られなくなりました。
しかし、ドイツの細菌学を中心とした陸軍軍医には納得できませんでした。
病気の原因もはっきりしないのに、食事の改善などということで、病気が治るはずがないと考えたのです!
脚気に対しての陸軍VS海軍の戦い…
ドイツで細菌学を学んだ陸軍の森鴎外は、海軍に対して露骨に反発を続けました!
その結果、海軍では脚気による死亡患者はほとんどなかったのに対して、陸軍では、3万人以上という非常に多くの兵士の命を脚気によって失ってしまいました(>_<)!!
森鴎外が、海軍の成果に対して柔軟な姿勢をとっていれば、多くの命を救えたかもしれませんが、森鴎外は生涯、誤りを認めなかったそうです…
この事を聞くと、森鴎外は少し悪役になってしまいそうですが、私は森鴎外の作品が好きなので、読書の秋にたくさん作品を味わいたいと思います(*^_^*)
歴史上の人物には、他にも医師でありながら、素晴らしい文学作品を残されてきた方がたくさんいらっしゃいます★
私は、東北大学医学部出身でありながら優れた文学作品をたくさん残された、北杜夫さんの芥川賞作品『夜と霧の隅で』を是非この秋に読んでみたいと思います!!
皆さんも、今年は勉学の秋一色ですが、来年、医学部に合格後は、読書の秋を楽しんでくださいね♪
それでは、明日も予備校内でお待ちしております!(*^^*)
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